「要介護じゃないんだから、大変ってほどじゃないでしょ?」
そう言われたとき、少しだけ心がザラッとしました。
2025年、母がくも膜下出血で倒れてから手術、入院、そして退院。
命は助かったけれど、記憶障害が残り、暮らしの中では“ちょっとしたサポート”が必要になりました。
介護認定は要支援1。
「介護」という言葉には当てはまらないけれど、
実際の生活では毎日のように、見守りや声かけ、付き添いが必要です。
この記事では、そんな“介護未満”の生活のリアルを、僕自身の体験をもとに記録していきます。
退院初日、「とりあえず家に帰る」から始まった
退院の日、母はしっかりと歩いていて、「これなら大丈夫そう」と思った。
でも、家に着いて30分も経たないうちに、「あれ?冷蔵庫ってどこだったっけ?」と。
手術による影響か、記憶があいまいで、
普段使っていた家の中でさえ“どこに何があるかわからない”という状況。
本人はケロッとしてるけど、見ている側はハラハラする。
「火を使わせていいのか」「お風呂は1人で入れるのか」そんな判断が必要になった。
家族の“時間”が減っていく現実
そこから始まったのは、「一緒に行動し続ける」生活。
- 買い物に付き添う
- お薬を飲んだか確認する
- スマホの使い方を毎回教える
- 通院や役所に同行する
いちいち大ごとではないけれど、積み重なると結構な時間を持っていかれる。
しかも、母自身は“サポートされている”という自覚が薄いので、
「何か用事あるの?」と何度も聞かれるし、自由に出かけることも気が引ける。
ちょっとした言葉が刺さる日々
親戚や知人が、よかれと思って言う言葉が、刺さることもある。
「元気そうでよかったね」 「要支援1なら、そこまで大変じゃないでしょ?」
もちろん、悪気はないとわかってる。
でも、支える側としては「そう言われると余計に言いづらくなる」ことが多い。
感情的になってしまいそうな時もあるけど、ぐっと飲み込んで笑顔でやり過ごす。
それがいちばんしんどい。
“一緒にいる時間”は、想像以上に神経を使う
今までは「一緒に住んでるだけ」だった関係が、
ある日から「見守らなきゃいけない」関係に変わる。
とくに記憶が不安定な場合は、何気ない日常も「ちゃんと覚えてるかな?」と不安になる。
- 同じ話を何度も聞かされる
- 説明してもすぐに忘れてしまう
- それでも「覚えてるよ!」とムキになる
つい「さっきも言ったよね?」って口調が強くなり、自己嫌悪に陥る。
“介護じゃない”からこそ支援が届きにくい
正直に言うと、「要支援1」という区分の中では、できる支援に限りがある。
デイサービスの利用時間も限られるし、家事支援もほとんど対象外。
つまり、「制度の網にはかからないけど、サポートが必要な人」はたくさんいるということ。
その分、家族の負担が直接跳ね返ってくる。
でも、制度上は「まだ自立できる」ことになっている。
このギャップが、一番つらい。
頼れる人がいない日も、気を張り続ける
夜中にトイレに行く足音で起きてしまう。
出かけるときは1時間おきにLINEを確認する。
「何かあったらどうしよう」がずっと頭の片隅にある。
でも、それを他人に説明しても「そんなの気にしすぎだよ」で済まされる。
…だから書いてます。この記事を。
おわりに:家族の形は、それぞれ違っていい
「家族なんだから支えるのは当たり前」
…そんなふうに簡単には割り切れないと思っています。
僕自身、感情が不安定になる日もあるし、「もうひとりになりたい」って思うこともある。
でも、同じような状況にいる誰かが、
「わかる」と思ってくれたら、少しだけ楽になるかもしれない。
このカテゴリでは、そんな“介護未満”のリアルを、正直に書いていこうと思っています。
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