【体験談】母の介護で退職した僕が直面した“制度の壁”と手続きのリアル

🧍 介護と仕事、自分の生活手続き帳

「母の介護のために仕事を辞めたんです」

そう伝えると、たいてい「すごいね」「大変だったね」と言ってもらえる。
でも、実際のところは“すごさ”や“えらさ”よりも、不安とか、制度のややこしさとか、「誰も教えてくれないこと」の連続だった。

この記事では、母のくも膜下出血による入院をきっかけに、
退職・失業保険・転職活動・制度の手続きなど、僕がぶつかった“制度のリアル”を記録していきます。


母が倒れた日、すべてが動き出した

2025年1月某日。それは突然で、病名は「くも膜下出血」。

すぐに緊急搬送、手術、ICU。
あまりに急すぎて、頭の中では「仕事どうしよう?」なんて考える余裕もなかった。

手術が無事に終わったあとも、しばらく入院。
そこからは病院の送り迎え、着替えの準備、主治医との面談、
それに加えて「どこの病院に転院させるか?」という調整……。

気づけば毎日が病院中心になっていて、そのまま休職、そして退職を決意するまで、そう時間はかからなかった。

退職前にやっておいたこと

僕は会社に介護休業の申請をしたあと、有休や欠勤も使いながら限界まで粘った。

でも、母の記憶障害のリハビリが必要になり、在宅での見守りがしばらく必要になるとわかった時点で「もう限界だ」と悟った。

退職を決めたあと、やったことはこんな感じ:

  • 会社の上司に介護が理由であることを正直に伝える
  • 社会保険と年金の切り替え方法を調べる
  • ハローワークで失業保険の申請条件を確認
  • 母の介護認定やケアマネジャーとの面談に同席

どれも、「調べながら」「誰かに聞きながら」じゃないと無理だった。
制度って、どうしてこんなにややこしいんだろうって、何度も思った。

ハローワークでの違和感:「その理由じゃ認定されないかも」

退職後、最初に行ったのがハローワーク。
「失業保険(雇用保険)を受給するための申請」だ。

でも、ここで壁にぶつかる。

僕は“特定理由離職者”として認定されるつもりでいた。
家族の介護という、正当な理由があるはずだと。

でも、窓口で返ってきた言葉はこうだった。

「退職時点で、要介護の認定が出ていないと難しいかもしれません」

え?そうなの?

結局、申立書を提出し、主治医からの診断書も添えてなんとか認定は受けられたけど、
「制度を知らなかったら、損してたな」と思った瞬間だった。

特定理由離職者の制度は“知ってるかどうか”がすべて

ちなみに「特定理由離職者」に認定されると、以下のようなメリットがある。

  • 7日間の待期期間だけで失業保険の給付が始まる(通常は3ヶ月の給付制限あり)
  • 雇用保険の受給期間が手厚くなる場合がある

ただし、これは「自己都合退職」でも“やむを得ない事情”と認められた場合のみ。
今回のように、退職時点で「親の介護が必要だったか」「証明があるか」が問われる。

要するに、「退職してから申請すればなんとかなる」は通用しない

転職活動、でも「介護してました」が言いづらい

退職してから数週間後、転職サイトに登録して活動を始めた。

でも、ここでもモヤモヤは続いた。

面接官:「前職を辞めた理由は?」

うまく言えない。
「介護で辞めました」と言うと、“再就職してもまた辞めそう”って思われるかもしれない。

だから、あえて「家庭の都合で」や「一身上の都合で」って濁すこともあった。
でも、それって正直に話してないわけで、ずっと罪悪感が残った。

制度のすき間に置き去りにされた気持ち

親のサポートが必要な人なんて、たくさんいると思う。
でも、その実態って、「介護認定が出たかどうか」だけじゃ語れない。

  • リハビリ中の見守り
  • 記憶障害のある人との暮らし
  • 付き添いや話し相手の時間の消耗

こういった“見えない介助”は、制度のどこにも当てはまらないことが多い。

だからこそ、「手続きのすき間」で苦しんでる人は、僕だけじゃないと思う。

おわりに:これを読んでいる“あの時の僕”へ

もし、この記事を誰かが検索で見つけてくれているなら、
きっとあなたも、「どうしたらいいのかわからない」「制度に置いていかれてる気がする」「もう限界かもしれない」って、
今まさにどこかで立ち止まっているのかもしれません。

僕もそうでした。

ひとつひとつの手続きが重くて、
正しい選択が何かもわからないまま、
ただ“やらなきゃ”という思いだけで動いていた日々。

でも、それでもいいんです。
迷いながらでいい。
不安なままでいい。
制度は完璧じゃないけど、“自分の今”を大切にした決断は、ちゃんと未来につながります。

この記事が、あなたにとっての「道しるべ」のひとつになりますように。

そしていつか、少し心に余裕ができたら、
“あの時の自分”を誇ってあげてください。

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