はじめに
親の介護が始まったとき、誰かに「やれ」と言われたわけじゃない。
でも、気がつけば僕はすべてを引き受けていた。東京での仕事を辞め、母のいる岩手に戻り、気づけば生活のすべてが“母基準”になっていた。
兄弟がいるのに、なぜか自分がやるのが当然になっていた。誰かが押しつけたわけじゃない。なのに、“これは俺の責任だ”と思っていた。
その背景には、ずっと当たり前のように刷り込まれてきた価値観があった気がする。
「親を支えるのは子の義務」?
昔から、親孝行は美徳だと言われてきた。
「年を取った親を支えるのは、子として当然の務め」
そんな空気が、あちこちで目に見えない圧力になっている。
テレビでもネットでも、「親の介護で退職した」「同居を決意した」という話が美談として語られる。
でも、その裏にはきっと、それぞれの“迷い”や“苦しさ”があるはずだ。
僕の場合、それは誰かに相談する暇もなく、決断せざるを得なかっただけだった。
誰も責めてないのに、自分だけが責められている気がした
僕は長男でもない。兄弟もいる。
でも、母が倒れたとき、僕が一番最初に動いた。それだけの話だった。
それなのに、なぜか僕の中で「これは俺の役目」という空気が生まれてしまった。
誰にも頼まれていないのに、勝手にプレッシャーを背負いこんでいた。
そして、「俺がやるしかない」と言いながら、「なんで俺ばっかり…」という気持ちが静かに積もっていった。
善意と義務の境界線がわからなくなった
母のために動くこと自体は嫌じゃない。
むしろ、助けたいという気持ちはちゃんとある。
でも、それが“義務”として定義された瞬間に、なんとも言えない息苦しさがやってくる。
「好きでやってるんでしょ?」と言われたら、返す言葉がない。
でも本音は、「やらなきゃいけない気がしてるだけ」だった。
支える気持ちを持っている自分と、自由でいたい自分。
この2つがぶつかるとき、いつも「義務」という見えないルールが頭の中にある。
一度立ち止まって考えてみた
ある日ふと、「これって俺が選んだんだっけ?」と考えた。
母のために岩手に戻ったのも、仕事を辞めたのも、全部“自分で決めた”と言えばそうだ。
でも、「そうするしかなかった」とも思っていた。
選択肢がない選択肢。それを“自分の意志”と呼んでいいのか、いまだにわからない。
締め:支えることは選択であっていい
「親を支えるのは子の義務」じゃなくて、
「親を支えたいから支えている」でありたい。
そう思えたとき、ほんの少し気持ちが軽くなった。
誰かに強制されたわけでもなく、誰かを見返すためでもなく、
「そうしたい」と思えたら、それが一番いい形なんじゃないかと思う。
これは僕の話。でも、あなたはどう感じていますか?
もし同じような気持ちを抱えた人がいたら、
「あなたは間違ってない」と、そっと伝えたい。